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人生の最後と、町医者 [日記]

5/30、朝、母方の父、つまり私の祖父が亡くなった。享年85歳。

と言っても、突然の話ではないので「おつかれさま」と言う所。どうも肺が弱っていたらしく、1ヶ月前に入院していた時点から少し兆候は見られていた。

当日、朝、部長との厳しい面談を終え母親から意外に素っ気無いメールが携帯へ。「先程亡くなりました」、連絡を取ってみるも、本日友引のため通夜は明日、葬儀は明後日との事。しかしこんな状態で仕事なんてやれるわけも無く、昼ごろの客先訪問を終えたらさっさと早退するつもりだった。しかし私も営業マン、結局帰らせてもらえる状況は整わず17:00定時上がり。これでも毎日のことを思うと結構早いのだが。

そして通夜当日。早めに祖父の家に向かいご遺体と対面。昨日の段階で体を冷やすためにデカいドライアイスを抱え静かに眠る祖父。まずは心の中で「おつかれさま」と伝え、肩やおでこに手を当てる。冷たい。命の暖かさを逆に感じた瞬間だった。

この記事を書いているのは通夜の日の深夜、色々思い出があるのだが、今のところ目から涙は出てきていない。私よりも祖父との時間が長かった母の弟の子供2人の方が別れを悲しんでる様子。涙が出ないのは男の意地なのか、たまたま自分の性格が冷静、悪い言い方をすれば冷たすぎるのか。多分明日の火葬場では涙を流すはずである。

これが人生の最後となるのは、誰かがその人の「終わり」を決めているからだろうか。しかし、明らかに祖父の寿命を縮めた出来事があった。町医者の「患者の観察ミス」である。入院する前からどうも調子の悪かった祖父。かかりつけの町医者からは「各データも正常、特段変わった様子は『外観』からは見当たらない」と診断。入院までの数ヶ月間祖父夫婦の『どうもおかしい』という感覚が拭い去られたのは入院決定がなされたある大病院での検査。しかしそれ自体もかなりこちらからの要請で行った検査である。

ネタばらししてしまうが、大ベストセラー『○○タワー』でも主人公の母親の病状急変は、町医者の判断ミスであった。町医者がダメなのかどうかはさっぱりわからない、というよりも一方的に「悪」と決め付けてしまわないように「善意」が働いた結果が「さっぱりわからない」という結論なのだが、高齢者医療というのは非常に難しいところであることは間違いない。

明日は葬儀である。とりあえずは「お別れの日」である。今少しだけ後悔している、もう少し祖父の「冷たさ」をこの手で実感しておけば良かったと思っている。祖父の体が私の体温で温まるまで。


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コメント 2

必ずやってくる別れの日は、
「人って死んじゃうんだ」って改めて気づかされる瞬間です。
ずーっと一緒にいた人が、ある日を境に目の前から消えるのは
すごくすごく悲しいです。
これからは、思い出の中で生き続けてますよね!
おじいさんのご冥福をお祈りします。。
by (2006-06-03 13:55) 

betchy

>別れ
炉の中から出てきた骨だけでは、未だに別れた感覚がありません。一周忌のとき、目の前に並んだ親戚一同、祖母の隣に座るはずの人がいないと気付いたとき、初めて「別れ」を実感すると思います。始まりがあれば終わりが有ることですし、こればっかりは避けられないんでねぇ。こうやって大人になっていきますよ(笑)お気遣い、ありがとうございます。
by betchy (2006-06-03 14:24) 

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