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私のメモリの要領が限界を超えてます [昔話]

最近、昔連れ添っていた仲間とちょこちょこ連絡を取るようになって気付いた事が。

俺、昔の事だいぶ忘れてるわ。

あの時何してたのかとか、何であの時怒りまくってた理由はなんなのかとか、特に会話やツレの特徴、先輩や後輩、しまいにゃ同期との思いでもどんどん忘れていっている。

大学3年後半からの就職活動なんかほとんど人と接触してないし、大学4年の時なんて、塾講師という別のコミュニティにズッポリはまっててメインコミュニティでの活動や思い出なんかすっかり忘れてるし。

今思うと、あの時は意識していないレベルで他人との接触を拒んでいたような気がする。そして、それはどんどん続き、この数ヶ月の活動的な状態になるまで、会社の同期にさえ連絡をあまり取っていなかったと思う。

これからは周りの人間を大切にしたいと思う。

また、自身が今後どのような事をするべきか。
自分がこういう状態なのに、他人の世話なんてそんな余裕は無いのだが、私と同じような境遇になる人をとにかく減らしたい。

聞ける相談は受け付けます。どんな方法でも、どんな悩みでも良いので、良ければ是非私にご相談してもらえませんか?邪魔にならない程度にお話を伺います。


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最下位(best&worst) [昔話]

ここまできたら、タイトルは意地です。行けるとこまで行きます。

皆さん、最下位になったことはありますか?
ちなみにイチバンになった事もありますか?
僕は、小さい事ですが両方あります。

まずは最下位。
名古屋勤務時代、私が所属していた本部内約110名の営業担当の中で、年間対前年比最下位を経験しました。しかもダントツで。
要因さまざまありますが、簡単に言えば恒常的な大きなマイナスを自らの力でのプラスで埋め切れなかったこと。
もう夏頃には自分が年間最下位になる事はほぼ確定していたので、そこまでいくとマイナスの感覚が無くなっておかしくなってきますね。

次にイチバン。
会社で扱っているある商品でその当時、売り出してから一番デカイ一本契約が取れたこと。額があまりにもデカイので、ホントにこの取引は現実のものなのか疑った記憶があります。分割で支払いがあるものだったのですが、最初に会社に支払いが振り込まれた時に端末で数字を確認した瞬間に実感が湧きました。
ほかにもどうでもいいちょっとしたイチバンはあるんですけどね。どうでもいいので省略。

でも、なんでしょう。
こういう与えられた場でしか、このような話っておおっぴらにできないですよね。恥ずかしいし、偉そうに見えるし。そもそもそれって自慢になってんの?とか思われるような内容だと、エッヘンって言ってる自分が情けなくなるような。
でも、もっと日本人はイチバンになったことを誇りに思っていいと思うんですよ。だって、まぐれでイチバンになんかなれませんから。それまでに努力もしたのでしょうし。

イチバンの人、もっと誇らしげに語りましょう。
ただ、あくまで控えめに。
それが日本の中で生きるコツ。


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ミドリパンツの憎い奴(三沢光晴) [昔話]

急ですな、しかし。三沢が逝ってしまいました。
http://backnumber.dailynews.yahoo.co.jp/?m=174843&e=noah

しかも広島公演です。当然、会場には足を運んでいないです。東広島で野球に興じておりました。そう考えると、2打数2三振、四球の可能性も自分のバカな選球ミスで三振になった事を、心から悔やみます。四球で出塁しておけばよかった。

私は高校の頃、プロレスと出会いました。そして、そのきっかけとなったのが全日本プロレスでした。その当時の全日本は、三沢を含め川田・田上・小橋で「四天王」と呼ばれて、新人だった秋山が少しずつ頭角を現していた時代です。毎週「週刊プロレス」を買って読んでいました。懐かしいですが、もう、三沢のエルボーとか眉間辺りの汗を取るしぐさとか見れないわけですよ。

しかし、何故斎藤彰俊のバックドロップでなんでしょうか。相当疲労を蓄積していたのでしょうか。死因は今後らしいですが、不思議です。もう、限界が来ていたんでしょうね。マット上で死人を出すのは後藤達俊と思っていたので。高校の後輩でもある川田は今、どんな事を思っているんでしょうか。

ただ、こういう事故は加害者側の立場も考えてあげなければなりません。技をかけた斎藤はショックどころの騒ぎじゃないでしょう。一生悔いる事になると思います。

人が死ぬのは容易いです。他人、そしてもとより自分という存在を大事にしましょう。そして、記憶と記録はしっかり残していきましょう。

ご冥福をお祈りします。


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忘れていた思い出 [昔話]

それは広島へ越してくる前の、名古屋にて荷造りをしている最中。

昔の物って、こういう時にドサッと出てくるもので。その中でも本当に懐かしく思えたのは、"詩"でした。

高校時代、良く詩を書いていました。今では考えられないアメフトメーンだった私も、その当時はちょっぴりおセンチな部分を持ち合わせていたのです。今じゃすっかりおセンチどころかメンタル不全に陥っておりますが。

出てきた詩を眺める。高校生の割には中々書けていると自画自賛。その当時、好きだった女の子も詩を書くのが趣味で、交換してたりしたかな。結局成就はしませんでしたが。う~ん、ハズい。いや、ハズい。

その当時、文芸部(大沢在昌を輩出)の手伝いで、学園祭の時に売る文芸誌に数ページ詩を書いてみたり。あの時は書く事に没頭していましたな。う~ん、ハズい。どう見ても、ハズい。

生活も落ち着き始めたし、余ってる部屋もあるし、そろそろまた書き始めてみますかね。言うだけやらないと思うけど。
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リラックマとちびギャラと② [昔話]

リラックマ展の話をしたが、このリラックマとの出会いはある人からの「紹介」でした。あ、今回の話は別に何もオチは無いので。

それも流行りだす前の2004年。その女性は流行る前からこの「熊」に目を付けていた。私も最初『ふ~ん・・・』くらいにしか思っていなかったのだが、ある時それなりの大きさのリラぐるみ(リラックマのぬいぐるみ)と遊ぶ機会が出来、いじくってくるうちに段々愛くるしくなり・・・いつの間にかじゃれ合っていました(笑)

その後機会がある度にUFOキャッチャーを挑戦、ついに私の部屋にも一匹のリラが♪もう、それからですね。はまってます。まだ自分の車は持ってないが、持ち出したら多分リラワールドに変身すると思われ。と言いつつも、まだ私の部屋にはキイロイトリがいない・・・早くゲットしなければ!!

そして、もう一つ。その女性は他にもあるモノに目を付けていた。それが『ちびギャラ』。サーチエンジンで検索してみてください、詳細はわかります。ボンボヤージュというイラストレーターが運営しているHPに小さなイラストギャラリー、所謂「ちびギャラ」(私なりの解釈、間違ってたらごめんなさい)が発祥と思われるが、本にもなっている。

ちびギャラ






話は戻し、そのちびギャラのキャラクターが、所謂食玩としてコンビニ等で売られておりそれを見せてもらったのが最初。イラストも可愛いが、一緒に付けられているコメントがなんとも。一言で言いづらいのだが、敢えて言えば「リアルほんわか」。コメントによってはバックグラウンドを考えるとかなりえげつない事も書いてあるのだが、それさえも癒しに変える世界。う~ん♪最近はこれまたUFOキャッチャーでグッズを見つけています。まだ試していませんが。

いずれも最初の出会いはこの女性。非常に感謝しております。だからこそ、伝えたいことが。その女性が今勤めている場所で、能力等で非常に評判が良い。その女性と会話をしていてもその会社にいるのが勿体無いくらいの人間で。このような能力がありながら今の会社に埋もれていては勿体無い、早く「卒業」しちゃいなさい。


淡い思い出、淡い恋 [昔話]

会社の先輩と話していた時にふとある言葉が気になる。「俺のかみさんのお兄さんが浜銀の支店長でさぁ・・・」浜銀=横浜銀行。地銀全国No.1。昔の彼女が勤めている銀行である。昔の思い出が蘇ったので、今日は昔話にお付き合いください。長いっすよ(笑)

大学時代よりかなり長く付き合った彼女がいた。それは入学間もないある4月の夜。経験者だったためバドミントンサークルにも所属していた私は、新歓コンパで1つ上の女性と話が盛り上がる。何故かその日その女性は私の家に泊まることになり、夜通し二人きりで酒とトークで盛り上がり朝を迎える。あまりにも気が合うのでそのまま付き合ってしまうことに。これがその彼女との始まり。

1年ちょっとしてある事がきっかけで私から別れを告げるも、7ヵ月後のクリスマス・イブに偶然学校で会い、ドラマかよ!?ってさまぁ~ず三村からツッコまれそうなくらい劇的な再出発を果たす。その後色々ありながらも彼女は横浜銀行へ総合職として入行、その1年後に私が今の会社に入る。

その入社前からかなりリアルな問題が勃発。入行前に彼女から『結婚』という二文字を真剣に考えさせられ、まぁ長く続けばそれも良いかな、と思っていたのだが、彼女は地方銀行の総合職、もちろん結婚後もバリバリキャリアウーマンとして生きていくと考えており、私は大学4年の5月の段階でどこに飛ばされるか分からない全国展開の会社に内定。その後私が名古屋に配属された事が問題を表面化させた。要は私が関東近辺に異動しない限り彼女との結婚は有り得なくなったのだ。こうなるとこのカップルに突き付けられたリアルなゴールは「結婚か、別れか」。

とは言うものの、名古屋-関東の片道2時間/¥10,000の遠距離恋愛も別れるまでの1年4ヶ月、ちゃんと続けられた・・・いや、うそ。正直に申告すれば当方、1度浮気しました。すいません。ま、相手もしてた感じがあったが。

しかし、別れは突然やってきました。夏、お互いにちょっとマンネリを感じていた頃、ちょっとした電話での口喧嘩を最後に突然彼女との連絡が途絶える。「あっちが別れを決断したか・・・」と思っていたが、一週間後に彼女から電話。どうも連絡が取れる状況じゃなかったとの事。どうしたの?理由を聞いて私はこれまたドラマのような大ショック。どうも仕事のし過ぎで神経をやられたらしく、入院。ドクターの言う事を聞いて肉親以外とは全く連絡取らなかったらしい。肉親・・・凄い裏切られた感で一杯になる。一度別れもしたがこの5年、積み上げてきたものはドクターの「面会謝絶」の判断を簡単に受け入れてしまう程度のものだったのか、と。この電話を最後に別れ、その後全く連絡を取っていません。空白期間も含め、都合5年4ヶ月。意外と別れはあっさり・・・

周りから見れば大した事でもなく、ちょっと私の器が小さいように見えると思う。だが、ここまで信頼しお互いの存在を大切にしてきたのに・・・という気持ちが先に立ち、多分ここで我慢して結婚したとしても同じ事をどこかで繰り返されるのだろう、という考えが。あの時良い方向に転がっていれば、今頃彼女と幸せな時間が過ごせたかも知れない。

その後彼女の友達から、後悔していると聞いていたが、「こちらは後悔していない、これが二人の結末だったんでしょう」と伝えてもらった。今は何をしているのだろうか、是非浜銀No.1行員になってください。しかし・・・この歳で私は一度婚期を逃したことになるのか・・・う~ん。。。日々精進。


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蒼天航路と三国志 [昔話]

蒼天航路というマンガが惜しまれながらも連載終了した、というより物語が終わった。このマンガは中国・三国志時代の英雄、曹操孟徳のその一生を中心に描いたものである。

このマンガが好きだから読んでいたわけでもあるが、その基である三国志が好きだからハマった、の方が正しいかもしれない。ちなみに、三国志をモチーフにしたマンガ・読み物は数知れず存在するが、三国志は二つ存在しており、純粋な歴史書として存在する「正史『三国志』」。歴史をベースに語り継がれる読み物として(いわば、小説に似たようなものらしいが)存在する「三国志演義」。有名な横山光輝Ver.や吉川英治Ver.は後者を基に、さらに読みやすいものとして変化。劉備玄徳が善人で曹操孟徳が悪人に仕立て上げられているのも後者。私は後者、もしくは後者を基に変形しているものや幻想としているものは出来る限り読まないようにしている。「リアル」で無い為だ。

話は戻り、私の三国志との出会いは小学5年生のとき。生意気にも中学受験組であった私は、家より電車で約30分もする塾まで通っていた。当然、車内では何もする事無く、ガキには退屈な時間で仕方なかったのだが、その時ハマっていたのがファミコンの三国志のゲーム。その当時では珍しい100以上の登場人物(要は、武将)を一人ひとりゲーム内の能力や三国志内でのエピソードを紹介していたデータ本を手に入れ、その後三国志ブームの訪れと共に色々な本を漁っては読んでいた。蒼天航路 (1)
この時期が今までの人生で一番活字を読んでいたかもしれない。しかし、三国志は面白い。語り過ぎると駄文をつらつらと並べてしまうだけになってしまうので、そろそろ終わりにするが、三国志演義も良いが、機会があれば正史も見て頂きたい、いかに曹操が能力に長けていた人間かがわかります。活字嫌いな人は、蒼天航路全36巻、マンガ喫茶で読んでみてね。


・・・長いな、反省。でも、総括せず。


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